国立シンガポール大学 Duke-NUS Medical School, Health Services and Systems Research
岡田 遥平
0年
京都府立医科大学 医学部医学科 【京都府】
高校時代に「こちら救命センター」という本を読み、救急医の熱い想いを感じました。自分には救急医しかないと思い、2浪の末医学部に入学しました。大学時代は中学、高校と続けてハンドボール部に入部しました。毎日、どうすれば西医体で優勝できるのか、そればかりを考えていました。6年生でクラブを引退してから、慌てて勉強し始めました。
1年
京都第二赤十字病院 初期研修医 【京都府】
救急症例の豊富な救命救急センターのある市中病院で研修しました。
大きな事故で若い人が残念ながら亡くなる症例を経験し、なんとか助けられるようになりたい、そう強く願い、救急医となることを決意しました。
3年
京都第二赤十字病院救命救急センター 救急科
後期修練医 【京都府】
後期研修として、1-3次まで救急患者の初期診療を行うER形式と、緊急手術、外傷手術や集中治療を他科から独立して実践する救命救急型の修練が同時にできるプログラムに魅力を感じ、後期研修を選びました。当時は人数が少なく、毎日のようにオンコールで救急患者の診療をしていました。
とても充実した毎日でしたが、主治医となり人の生命を預かる怖さと救命救急センターの看板を担う重責に押しつぶされそうな毎日を過ごしていました。
研修のなかで、外科、心臓外科をローテーションしました。また、りんくう総合医療センター(大阪泉州救命救急センター)でも研修させていただき、重症外傷のチーム診療とシステムの重要性を学びました。
6年
京都第二赤十字病院救命救急センター 救急科 医員
外科専門医 取得 【京都府】
7年
京都第二赤十字病院救命救急センター 救急科 医員
救急科専門医、集中治療専門医 取得 【京都府】
南アフリカに外傷外科の短期研修に挑戦
外傷外科のことをもっと勉強したいと思い、1ヶ月だけではありますが、南アフリカ共和国のレベル1外傷センターに研修に行かせていただきました。毎日のように刺創、銃創で患者が搬送され、たくさんの外傷手術を経験させていただきました。言葉と文化の壁を感じながらも、様々な国籍の外科医、救急医と当直することができたのは貴重な経験となりました。
南部バングラデシュ避難民緊急医療支援に参加
また、南部バングラデシュの避難民の緊急医療支援チームの一員として、派遣される貴重な経験も得ることができました。水も電気もない荒地で、竹とターポリンのテントで診療するなかで医療の限界、世界の現実をまざまざと感じました。
質の高い医療を提供するためにはインフラストラクチャーと医療システムを構築することの重要性を痛感しました。
8年
京都大学大学院 医学研究科
初期診療救急医学分野、予防医療学分野 【京都府】
育児
救急医療のシステムを構築する、さらに質の高い救急医療のためには疫学、統計、臨床研究の知識や経験が必須だと思い、大学院に進学しました。京都大学SPH(School of Public Health:社会健康医学系専攻)の予防医療学分野に学内留学し、臨床研究者育成(MCR)コースに所属しました。
育児に挑戦
奥さんも救急医で仕事に夢中だったため、比較的時間を調整しやすい私は育児にも取り組んでみました。保育園の送り迎え、離乳食作り、夜泣き対応、入院付き添いのほか、子供と一緒に国際学会に行って学会発表にも挑戦しました。
育児を通じて、救急医である我々夫婦が、育児で子供と過ごす時間と仕事や研究を両立できる環境に感謝しました。家事、育児、仕事や研究を両立できるような職場環境が救急医にも必要だと思います。
9年
博士課程での経験
臨床研究者養成コース修了後も、博士課程の期間は臨床業務は2割程度に抑え、大学院で救急医療、心停止の蘇生に関する臨床研究(データの解析や多施設研究の事務局など)に主体的に従事しました。
また、学会の委員会活動や診療ガイドラインの作成にも積極的に参加しました。こうした活動を通じて、エビデンスやガイドラインがどのように構築されるのかを体感し、「医療・診療における問題を提起し、それをデータを用いて科学的に解決する」という研究の基本的な思考プロセスを習得することができました。
臨床から距離を置くことで勘が鈍ることや手技ができなくなることへの不安もありましたが、その分、研究能力には自信をつけることができました。
11年
博士課程卒業からシンガポールへの留学
Duke-NUS Medical School 客員研究員 【シンガポール】
博士課程も終了に差し掛かると海外での研究留学のことを考え始めました。研究室の同じ救急・集中治療系の先輩方が海外で活躍している話を聞き、海外留学への憧れが強くなりました。留学までの過程の詳細はここでは省きますが(もし興味があればご連絡ください)、国立シンガポール大学のDuke-NUS Medical SchoolのMarcus Ong教授のもとで、蘇生や救急医療体制の研究を行うことにしました。
医学博士を取得し大学院卒業した後、半年間は古巣の救命救急センターで勤務しながら渡航の準備をし、2022年の秋にシンガポールへ家族で出発しました。
12〜14年
シンガポールでの研究生活
シンガポールに来てからは、日本とシンガポールの医療体制の違いによる院外心停止の予後の違いを検討した国際共同研究や、シンガポールの熱中症の疫学研究、日本、シンガポール、韓国のアジア3ヵ国の共同研究を行いました。また医学生の研究指導を担当する機会もいただきました。
シンガポールの救急部門の見学したりシンガポールのメディカルコントロール協議会に相当する保健省管轄の会議に出席することで、シンガポールの救急医療体制について理解を深めました。また、東南アジア各国の救急医の先生方とEMS Fellowshipに参加し、それぞれの国の医療体制について議論したりしました。また、東南アジア各国との共催のワークショップなどを盛んに行なっていて、私もフィリピン、タイ、マレーシア、インドネシア、インドなどの国々でレクチャーをしたり救急医療体制を見学させてもらう機会に恵まれました。異なる医療制度や文化に触れる貴重な機会となりました。
シンガポールでの研究生活や海外の国々との共催ワークショップなどで、常に強調されるのは「It takes a system to save a life」(救命のためにはシステムが必要だ)という考えです。特に、「費用対効果に優れていて持続可能性があるシステムを確立することが重要だ」と強調されます。日本の救急医療体制は先人や現役の救急医たちの努力でとても質が高いものだと思いますが、その持続可能性や費用対効果にはまだまだ改善の余地があるように感じるようになりました。
15年
Clinician Scientistへの道
Duke-NUS Medical School スタッフ 【シンガポール】
2025年からは「客員研究員としての留学」から卒業し、スタッフとしてDuke-NUS Medical Schoolで雇用され研究を継続しています。まだまだ慣れないことも多いですが、救急医療に関する研究プロジェクトを中心的な立場でリードしていくことができればと思っています。またこちらの医学生や大学院生への教育、研究のサポートにも力を入れていきたいと思います。国際的な研究をリードする機会もいただき自身の研究力を発展させるとともに地域の救急医療のみならず国際的な視野を持って救急医療の発展に力を尽くしたいと思っています。また、日本と海外との共同研究の橋渡しの役割を担うことができればと思っています。
救急医療の臨床の現場から少し離れてしまい、自分自身でメスを持ったり、救急外来を走り回ったり、ICUで患者にぴったりくっついて診る、ということは最近はあまりないですが、救急医としての気持ちは少しもブレてはいません。救急医、外傷外科医として働いた臨床経験があるからこその独自の視点を持った「Clinician Scientist」として救急医療のエビデンスを提供したいと思います。患者を救命できなかった時の悔しさ、社会復帰させることの意義を思いながら、研究活動を通じて、緊急性の高い患者に最適な治療を提供し「防ぎえた死」を最小限にするためのシステム構築に貢献したいと思います。
医学生、研修医、若手の救急医の方でこれを読んで、研究を通じて救急医療に貢献することに興味をもっていただけたらとても嬉しいです。もしよければぜひ声をかけてください。「It takes a system to save a life!」を合言葉に一緒に頑張っていきましょう。
先生の「キャリアプラン」をお寄せください
内容のアップデートもお待ちしています!
先生がどういった経緯を経て救急医という職業を選ばれたのかを
熱いメッセージとともに寄せていただければと思います。
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先生方の熱き想い、お待ちしております!
◁過去の記事: 沖縄県立久高島診療所 / 筑波大学医学医療系 鈴木 貴明
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