柔軟性と多様性
救急医の数だけ、ドラマがある。
救急医には、多種多様な仕事がある。
全く同じ病態・疾患、社会的背景の患者さんは、一人としていない。
それまでに培った、知識と技術、ときには第六感や度胸も、
全てを目の前の患者さん、そして未来の患者さんに捧げる。
それが、救急科専門医である。
◇◆◇
救急医A
ある年の春、医師3年目の彼女は、はじめて救命救急センターの門をたたいた。1年間の修行のつもりでいた。その後は、他科に進もうと考えていた。
初期臨床研修を修了し、医師として少し自信も出てきた頃だったが、その自信は初日に打ち砕かれた。
大型トラックにひかれた8歳女児が、ショックバイタルで運ばれてきた。
多くの先輩救急医たちが、素早く救命処置を開始している傍ら、彼女の手足はフリーズしてしまったように動かなかった。医師3年目であるにもかかわらず、傍観者としてでしか、その場にいることが出来なかった。
女児に対しては、ERでの開胸・開腹手術後、骨盤骨折の出血に対する経動脈カテーテルによる止血術、四肢開放骨折に対する創外固定が行われた。そのスピード感に、ただただ圧倒されてしまったのだった。
術後、集中治療室のベットサイドで、open abdominal managementがなされている女児をみて、彼女は心に決めた。
「いつか、傍観者ではなく、このチームで活躍できるようになる。自分も命を救える救急医になる」
その後、彼女は救命救急センターで、来る日も来る日も救急患者の診療に当たった。外傷外科の戦略を理解するため、外科医と一緒に手術の助手もこなした。一日たりとも、あの日の自分の不甲斐なさを忘れたことは無かった。
ただ、日々、昨日の自分にはできなかったことが、今日の自分が出来る様になり、充実感もあった。
現在、彼女は救急科専門医と集中治療専門医を取得し、救命救急センターで働いている。派手な外科的手技も理解した上で、術中のバイタル管理と術後の集中治療管理を任されている。チームの一員として欠かせない存在となったのだ。
最近、臨床実習にきた女性医学生に聞かれた。
「私、救急医に憧れていたんですけど、やっぱり女性で救急医ってやっていけるのか不安で迷っていたんです。でも、先生のようになりたいって思いました。どうしたら、先生のような、救急医になれますか?」
◇◆◇
救急医B
午後2時46分。
それは、何の前触れもなく、やってきた。
ある地方の救命救急センターで働く彼は、診察室で座って、手の切創の患者さんの縫合中であった。
そのとき、彼の手が、急に縦に揺れだした。手が震えているのではなかった。処置台が揺れ、診察室が揺れ、病院が揺れ、患者さんと共に、床に倒れ込んだ。
揺れが収まった後、迅速に残りの処置をすませ、テレビをつけた。観たこともない光景を目の当たりにした。大きな津波が、家や道路をのみこんでいる。しかも、自分の育った故郷。
「何か、しなければ・・・。こんなときのために、自分は救急医になったんだ。」
一方で、明日以降も当直のシフトがすでに組まれている。同僚の一人が『行って来いよ。お前の地元だろ。あとのシフトは俺たちで調整しておくから、出発準備に専念しろ。』と言ってくれた。その後、DMATカーを走らせ、他の県の隊と連絡を取り合っている自分がいた。
仲間たちが病院を守ってくれるおかげだった。瞬時に状況を理解し、柔軟に判断ができる救急医たちが仲間で、本当に良かった。数日後、後付けで決まった任務を完了し、病院に戻ってきた。
救命救急センターの前では、後輩DMAT隊員達が、既に出発準備を終え、彼の到着を待っていた。彼らに、伝えた。
「俺の地元を頼むな。●●病院の救急の●●先生は俺の先輩だ。相当、疲れているだろうからぜひ力になってやってくれ。臨機応変に、がんばってこい。」
◇◆◇
救急医C
“I am pleased to inform you that your paper has been accepted for publication.”
デスクトップの画面に映っていたメールの一文を、彼女は何度も何度も、繰り返し読み直した。自然に涙があふれた。
彼女は、日々の臨床の経験をまとめ、新しい知見を英文論文として、投稿していたのだ。
それは、日々の業務を確実に行いながら、当直の合間や多くの休日を使って、数年がかりでまとめた仕事であった。その研究論文が、受理された瞬間であった。
ただ、流した涙は、決して嬉し涙だけではなかった。
3年前、彼女は、受け持っていた患者さんを失った。チームで協議してあらゆる方法を検討したが、最終的には助けることができなかった。
病理解剖の結果、彼女が予期していなかった原因が見つかった。翌月の症例検討会の前、彼女は衝撃を受けた。同じような病態の症例報告を見つけたのだった。
「もし、この論文を読んでいたら、その患者さんの病気の原因をつきとめ、治療を変えられていたかもしれない」という自責の念にかられた。
彼女は、その後、自分がいままで勤務していた全ての病院を訪れ、過去の同様の症例を調べあげ、論文としてまとめたのであった。
それから5年後。
彼女は、スマートフォンに映っていたメールの言葉を、何度も何度も、繰り返し読み直した。そのうち、スマートフォンの画面が水滴で見えなくなった。
「突然のメールで失礼致します。●●病院の●●と申します。実は、先生が書かれた論文を参考にさせていただき、患者さんを救命することができたことを感謝したくメールを差し上げた次第です。今日、患者さんが歩いて帰ることができました。本当にありがとうございました。」
◇◆◇
救急医療は、ときに難しく・厳しくもあるが、同時に面白く・やりがいもある。
最終的なゴールは、患者さん・ご家族の願いや思いに答えるべき全力を出しきること。
その強硬・単一なゴールにむけて、柔軟・多様な方法を用いて、全力で努力する、
それが、救急科専門医である。